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訃報・元日弁連会長の中坊公平さんが死去 83歳

中坊公平さん死去 83歳、元日弁連会長(朝日新聞)

(記事より一部引用)
京都市生まれ。1957年に大阪弁護士会に登録。55年に発生し、
乳児130人が死亡するなどした森永ヒ素ミルク中毒事件の民事訴訟
で、被害者弁護団長を務めた。高齢者らから約2千億円を集め85年
に倒産した豊田商事事件では、同社の破産管財人となり、債権者への
1割以上の配当という目標を実現させた。
(引用ここまで)

社会派の弁護士として知られた平成の鬼平が亡くなりました。83歳で
した。病名は心不全だったそうです。

中坊さんが扱った事件で有名なのは、森永ヒ素ミルク中毒事件や豊田
商事事件でしたが、1996年に住宅金融債権管理機構の社長に就任した
時も話題になりました。バブル景気の終焉で破たんした旧住宅金融専
門会社(住専)から引き継いだ多額の債権を回収すべく奮闘されまし
たね。国民に負担をかけない事を念頭に積極的な債権回収に当たった
ことで知られています。ところが、その後に不適切な回収業務があっ
たことが発覚し、2003年10月に大阪弁護士会へ退会届を提出、廃業
しています。実はこのあとの2007年3月22日に、大阪弁護士会に入会
申込書と弁護士登録請求書を一旦提出しております。しかしながら、
世間の批判に晒され7月5日に自ら登録請求を取り下げています。未練
が残っていたのでしょうね。

そして、過去の経歴も波乱万丈に富んでおります。昭和の時代だから
こそ、今では見られないパワーを感じさせます。

(Wikipediaより一部引用)
1953年 京都大学卒業、2度目の司法試験不合格。列車乗車時にヤミ米
の摘発に遭う、ヤミ米を所持していると間違われて没収されかけたこと
に激怒「米を認めないなら麦も取れ」と持っていた麦を米にブチ撒けて
公務執行妨害で検挙。

1954年 3回目24歳にして司法試験合格、翌年に司法修習生(9期)と
なるも給料はすべて自分の小遣い、父親を騙して無心と放蕩三昧の日々
を送る。

1957年 2年間の司法修習生活を終え「イソ弁」(居候弁護士の意)に。
遊び癖が抜けず遊蕩三昧、月末は困窮していた。

1959年2月 婚約時からあまり良い顔をしてなかった両親と嫁の仲がそぐ
わず、結婚を機会に家から離れ、冷蔵庫無し、TV無し、二間、台所、
トイレ、洗濯機付の新居で新婚生活スタート。依存意識を断ち切るため
に実家からの干渉はすべて拒む。

同年4月に独立し大阪に事務所を構えるも閑古鳥が鳴き、事務所で終日
タバコを吸うかパチンコをして過ごす。

同年暮れ、帳簿の決算をしていたら何度計算しても残高が預り金に足り
ないことに気づき真っ青になる。

1960年 事務所存亡の危機になるも町工場の債権処理の依頼を受け、自ら
町工場に出向き工員と経営者を直接指導し仕事を手伝い工場再建のメドを
つけ、債権者と話し合い和議に至る。これをきっかけに事務所に仕事がく
るようになり現場主義に目覚める。

1962年 東京オリンピック開催に伴う東海道新幹線の高架敷設による立ち
退き問題で京都にある小売市場の自治会役員が中坊の事務所を訪ねる。約
20店の店子とその家族と共に補償問題が解決するまで工事を行わないよう
(建前上は)実力行使も辞さない構えを取り、強行着工してきた場合には
「男は一歩引いて、まずは女達に任せろ」と中坊が指示、店子達はその言
葉を額面通り受けてしまい強行着工の連絡を受けて現場に駆けつけた中坊
は、子供を背負った店子の女性達が重機に立ち向かう光景を見て真っ青に
なる。こうした運動の結果、国鉄(現JR)と直接交渉の場を得る。

1973年 森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護団長を引き受ける。同年4月大阪
地方裁判所にて第一回口頭弁論に立つも持参の弁論原稿は読まずに被害者
訪問の報告結果を約40分述べて途中で裁判長が落涙しかける(一審で勝訴
の判決を得る)。その後裁判は毎月2日、終日開廷というハイペースで進み、
会議、調査、資料作成打ち合わせに忙殺された中坊は入眠困難、味覚障害
などの体調及び精神面での障害を起こす。

同年12月、執行部が原告団に提訴取り下げを通告、突然の出来事に中坊は
ショックで駅のホームから飛び降りそうになる。

1985年 ペーパー商法で破産した豊田商事の管財人に就任。同社の外務員が
国に一度納めた源泉徴収済みの所得税を返還させるため、一人で大蔵省へ通
いつめたり、実情を知りながら同社の資金に群がっていた企業を説得したり、
元社員らの住居を訪ね支払われた給与の返還を求めたり、結果、被害総額の
一割を回収、被害者へ還付する。当時の活動は「プロジェクトX〜挑戦者たち
〜・悪から金を取り返せ」として採り上げられた。
(引用ここまで)

生き様も大変なものだと思いますが、公平と言う名前に沿った弁護活動を
されていたと思います。弁護士の方々の中には批判的な意見を持つ方もいる
ことでしょうが、難しい仕事に立ち向かって行った姿勢は高く評価されて
良いと思います。

謹んでお悔やみを申し上げます。
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